Profile
代表税理士 藤原 亮のプロフィール
1.生い立ち~幼少期
子供の頃はヤンチャで食べるのが大好き♪動ける肥満児でした(笑)
1976年3月29日、抹茶の産地である京都府宇治市で生を受けました。どこにでもあるようなごく普通の家庭でしたが、やりたいと思ったことは途中で決して投げ出さず、自分で最後までしっかり責任を持つことを条件に、何でもやらせてくれ、何不自由なく大学卒業まで育てあげてくれた両親には、今でもいくら感謝してもしきれない思いです。
幼少期はそんな家庭で、又、たくさん食べる子供だったため、小学校時代はクラスで1番の肥満児でした。ただし、ただの肥満児ではなく動ける肥満児(笑) 。鉄棒の逆上がりだけは巨体が災いし、どうしてもできなくて、体育の鉄棒の時間が憂鬱極まりなかったのですが、とにかくジッとしていられない子供で、毎日近所の小川に魚やザリガニを取りに行っては、頭のてっぺんから足のつま先まで泥んこになって帰宅し、母親に「そのままお家に上がるな~!!(怒)」と絶叫されながらホースの水を浴びせかけられていたのを今でもよく覚えています(笑)
2.社会人~税理士資格の取得挑戦
最初の仕事はデパートで時計の仕入・販売
大学を卒業し、昔から腕時計に興味があったこと、また、人と話をすることが好きであったため、あるデパートに就職し、そこで時計の仕入・販売の仕事をさせていただきました。当時の上司であったNさんは厳しい方でしたが、社会人としての基礎を叩き込んでいただき、毎月与えられた予算と決めた目標の中で、仕入れる商品から店舗のレイアウト、そして接客までを自分で考え、責任を持って仕事をさせていただいた経験は、今の自分にとって大変貴重な財産となっています。ただ、入社4年目を迎えた時に会社が大手流通会社に吸収合併されることになり、大好きな時計を販売することができなくなったため、新たな自分を探すために退職させていただきました。当時25歳でした。
新たな自分探しという名目の停滞期
「新たな自分探し」という、一見聞こえの良い謳い文句のもと退職した訳ですが、そうそうやりたいことなど見つかる訳もなく、又、Nさん以外の方の下では時計販売の仕事をしたいとも思えなかったため、結局は生活費に困るようになったことから、携帯電話メーカーで派遣社員を3年以上もダラダラと続けました。その結果、同居していた両親との関係がだんだんと険悪になり、、、最終的には家を飛び出し、3年間近く連絡も断絶してしまい、とても親不孝をしたことを今でもとても申し訳なく感じています。次第にお金にも困るようになり、29歳目前になって、「自分の人生、この先どうなってしまうんやろ・・」と、ふと怖くなり、夜も眠れなくなるような日々を送る有様でした。
人生を変えるきっかけになった出会い→税理士資格取得への挑戦
そんなある日、派遣先で今まで職場で見たことがないような、上品で知的な雰囲気を醸し出すTさんと出会いました。それまでの同じ職場の同僚といったら、いただいたお給料を1日でパチンコでスッてしまうようなロクデナシや、両腕全体に絵が入っているアートな感じだったりと、とりあえずカオスな様相だったので、Tさんのようなタイプの人は私にとってとても新鮮でした。Tさんは当時、行政書士の資格を持ちながら社会保険労務士の資格取得に挑戦されている最中(この翌年に合格されました)で、そのTさんが私の隣の持ち場を担当されたことが、私の人生の大きな転機でした。やりたいことが見つからず、日々悶々としていた私にとっては、目標に向けて粛々と挑戦し続けているTさんがとても眩しく、輝いて見えたことを強烈に覚えています。
そんなTさんは、当時の私にとってみれば、じつはとっても乗せ上手な方でした(笑) 。Tさんは私に「税理士はとても素敵な職業だ」「藤原君は税理士にとても向いていると思う」等々、根拠がよく分からない話で僕に資格取得の挑戦を勧め、まんまとその気にさせられた私は派遣会社を退職し、受験勉強を開始しました。
沖縄の税理士事務所での勤務→独立開業
サラリーマン時代にぼんやりとは理解していた会社の儲けの仕組みや世の中の経済の仕組みが、勉強が進むに連れて段々と分かるようになり、又、税理士という仕事を通じて、たくさんの経営者の皆様方の考え方や人生に触れることができること、さらに事業発展のサポートをしていく中で、大きな社会貢献ができる可能性がある職業であることに気づき、自分の天職となるかもしれないという思いを心に抱き続け、レストランでアルバイトをしながら1年間、その後、京都とここ沖縄の税理士事務所で延べ6年間勤務させていただきながら猛勉強を続け、人生を懸けた挑戦の末、平成24年12月に遂に税理士試験合格、そして平成25年8月に独立開業させていただきました。Tさんとは今でも年に1度はお会いしますが、「まさか、ほんまに税理士になるとはな~」と会うたびに言っています(おいおい・・・笑) 。ですが、大変喜んでくださっていて、何より、今まで親孝行らしい親孝行が全然出来ていなかった私にとって、両親のとても喜ぶ顔が見れた時には、少しは親孝行ができたかなと、自分自身でも感無量になったのを覚えています。
元々、沖縄の人々の優しい気質が大好きであり、又、全国的に見て経済的に苦しい状況にあるこの地で、自分自身の仕事を通じ企業のホームドクターとして貢献していきたい、又、この地で出会い、自分を応援してくださる素晴らしい方々にたくさん恩返しをしていきたいとの思いから、ここ沖縄の地での開業を決意させていただき、今日に至ります。
3.今後の目標・夢
世間一般の皆様方が税理士とお聞きになった時に抱く印象は、ずばり「暗い」「固い」「敷居が高い(気軽に相談しにくい)」の3つではないでしょうか。私はこの逆である「明るい」「(ある意味)柔らかい」「敷居が低い(相談しやすい)」の3つを掲げています。税務・会計のしっかりした基礎知識に基づき、経営者の皆様方とのコミュニケーションを最も大事にしながら、黒字化、資金繰り改善、そして経営者の皆様方自身の夢や目標の実現、さらにそこで働く従業員の皆様の幸せの実現に向けて、「経営者の皆様方の右腕」として、共に熱く歩んでいきたいと願っています。そして将来的には、自分と同じ価値観を共有し、経営者の皆様方と魂のぶつかり合いができるスタッフをより多く育て、沖縄経済活性化の一立役者となり、引退するのが私の夢です。まだ見ぬ経営者の皆様方と共に熱くお仕事をさせていただける日が来ることを心よりお待ちしております。